東海愛知新聞バックナンバー
 3月23日【日】
愛知二中講堂活用へ
再開発後、岡崎市へ移管
日清紡針崎で現状保存

築後100年―。岡崎市内に残る明治時代唯一の公共建築物、旧愛知県立第二中学校講堂が“第3の人生”を歩むことになった。現在、日清紡針崎工場敷地内にあり、4月から始まる再開発工事では手を付けず現状保存される。焦点は今後の活用方法に移った。
 愛知二中は県立岡崎高校の前身。明治29(1896)年、針崎町の勝鬘寺を仮校舎に開校、翌年戸崎町へ移り同40年に講堂が建った。大正13(1924)年4月に現在地の明大寺町へ移転、講堂はそのまま残された。
 一方、日清紡は大正10年、現在の場所で岡崎工場(現針崎工場)の操業を開始。同社は同14年に講堂を買い取って工場敷地の東端高台に移築し、“第2の人生”がスタートした。
 同工場の女性従業員が学ぶ「龍城実科女学校」の式典会場などとして使われたが、新講堂ができ、また昭和61年には中卒者採用が廃止されたことで事実上、使命を終えた。
 同社は平成12年、針崎工場の操業停止を発表し、その後跡地再開発の方針が決定、大手ディベロッパーが来月から事業に取り掛かる。
 この間、同社は講堂を現状のまま保存する意向を示して岡崎市と協議。再開発終了後、講堂は取り付け道路や公園とともに市に移管することで合意した。

尾崎士郎熱弁の舞台

 講堂は、同校に入学した作家尾崎士郎(明治31―昭和39年)が1年生の時、弁論術を身につけて気弱な性格を克服し、校内弁論大会で熱弁を振るった舞台だ。木造平屋建て、広さは約384平方メートル。洋風の意匠を取り入れ、保存状態は良い。「品格もあり、記念として保存したい」(『新編岡崎市史』18―建造物)と高く評価されている。
 保存に向け活動を始めていたグループの1人、一級建築士で歴史的建物の調査にも携わっている北野哲明さん(岡崎市鴨田町)は「保存が決まってひとまず安心です。耐震補強などをして快適な環境の中で市民が自主的に使える施設にしてほしいですね」と話した。岡崎市は「活用方法は未定」としながらも、“第3の人生”のあり方を検討するという。





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