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東海愛知新聞

岡崎市教育委員会  5世紀後半の貴重資料

「北之切古墳群」発掘調査

“町長級”豪族の墓   若松町

 岡崎市若松町地内の私有地にある円墳「北之切古墳群」の発掘調査が、2カ月近くにわたって同市教育委員会の手で行われた。鉄剣や矢じり、須恵器の破片などが出土。土器の年代から推定して墳丘は古墳時代中期の5世紀後半に築造されたらしい。墓の主は現代風に言えば“町長”クラスの豪族。盗掘に遭っていないため、今後の出土品整理により町長クラスの副葬品の全容が分かると期待されており、岡崎地区の同時期の資料として貴重だという。調査結果は後日、市教委から公表される。
 北之切古墳群は円墳3基からなる。竹薮と墓地のある1号墳を除く2号墳と3号墳を、4月10日から発掘。規模はともに周縁の濠ほりを含めて直径約18メートル、墳丘の高さは約0.8〜2メートル。鉄剣と矢じりは3号墳の頂を4、50センチ掘ったところで見つかり、土器は両墳丘の法面(のりめん)や濠周辺から出た。
 剣は長さ約90センチが1本、矢じりは長さ約10センチのものが1個、約3センチが4個。いずれも錆びており、木棺のあった場所の両側から出土した。木棺は朽ちて跡形もなく、鉄剣の柄(つか)のすぐ近くには親指の爪ほどの骨片らしきものがあった。
 同古墳群一帯の酸性土壌では通常、骨は残らないという。市教委生涯学習課文化財班の小幡早苗さんは「柄の装飾に使われた獣骨か、あるいは人骨か、まったく別のものか、今後よく調査しないと判別できない」と話す。
 同古墳群から南西約350メートルの同町地内に、県の史跡「太夫塚古墳」があり、その規模は「北之切」の約2倍。「北之切」より以前の築造とみられ、須恵器や円筒埴輪(はにわ)や人物埴輪などが出土した。「太夫塚」は、例えて言うなら「市長級」と小幡さん。「北之切」の主は「太夫塚」より下位で、3代にわたる墓らしい。
 県が「太夫塚」を測量調査した昭和47(1972)年と同時期に、「北之切」の私有地の先代から「うちにも古墳がある」と市に連絡があった。今回、宅地造成に伴い新設道路にかかる2、3号墳を発掘調査した。
 ▼岡崎の古墳
 弥生時代に続く3世紀後半から7世紀にかけての間を古墳時代という。大和朝廷を中心として統一国家が作られつつあり、地方では大小の豪族が大きな墓を造って力を誇示した。
 岡崎では200基ほどは分かっているが、壊されたものもあり、実数は把握されていない。「太夫塚」のほか「甲山」「経ケ峰」「外山」「岩津」「神明宮」「天神山」「和志山」などの古墳が有名。

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