東海愛知新聞バックナンバー

 4月24日【火】

■小栗忠順 日本の産業革命の礎築く

米国で見聞広めた岡崎ゆかりの幕臣
群馬・高崎の菩提寺住職
筒針町公民館で講演会

三河小栗家の第12代当主・小栗上野介忠順(ただまさ)の墓がある群馬県高崎市倉渕町、菩提寺の東善寺住職・村上泰賢さんの講演会が22日、岡崎市の筒針町公民館で開かれた。筒針町は小栗家の初代が「筒針城」を築いた地。村上さんは「小栗忠順は明治維新前に日本の産業革命の礎を築いたにもかかわらず、幕府側にいたため維新後、不当な扱いをされている。業績はもっと評価されるべきだ」と主張。「ゆかりの地に記念碑を建ててはどうか」と提案した。(大津一夫)

■100人が聴き入る

講演会は、地元住民らで組織する筒針城研究会(梅本薫代表幹事)が主催し、約100人が聴講。村上さんは「小栗忠順の日本改造」と題して講演した。

忠順は万延元(1860)年、日米修好通商条約批准の遣米使節の「目付け役」として米艦「ポウハタン号」で渡米。その後、2隻の船を乗り継ぎ地球を一周して帰国した。

「鉄の国」米国での見聞を元に、横須賀に造船所を建設したのをはじめ、日本で最初の株式会社を設立、群馬県内で鉄山の開発などを進めた。またガス灯の設置や郵便・電信制度、中央銀行、商工会議所の設立などを提案。木造船を建造するため、森林保護も呼び掛けたという。

■国民利福目指す

村上さんは、「横須賀造船所は日本の産業革命の始まり。郵便や電信制度、鉄道の敷設など、日本が外国に負けないよう、さまざまな提案を行った。株式会社の設立も、『国民利福』を目指したものです」と忠順の功績を紹介した。

高崎市の東善寺で5月27日、「小栗まつり」が開かれる。功績をたたえようと毎年、忠順の命日に近い日曜日に開催され、研究者や地元住民が集まって講演会やイベントを開いている。